ただ寡黙に。

ここの所、少々違和感を感じている事があります。
なんだか、やんややんやと正義感を勘違いして争いのような事が起こっております。

打つ打たないって、本人の自由なんですよ。
打った人に対して、差別するような発言をされてる方や
それに対して打たない選択をした人に対して、否定的な意見を発したり。


皆さん、気づいてますか?
本人が決めた事なんですから他人がどうこう言う筋合いは全くなし。



打つ人も事情があっての事
打たないと決めた人も覚悟を持っての事
差別化するなんて言語道断!


「真実はこれだ!」として一方的に訴える前に一呼吸置いて考えてください。


私はこの件に関して、随分前から自分で色々なセミナーを受けて調べてきました。
結果、私の中にもしっかりと自分なりに決断したものがあります。

だけど、これを他者に押し付けようとは一切考えません。


最近の風潮を見てると
打つ派、打たない派で論争が繰り広げられておりますが
そこに意味はありますか?そこで議論する意味はなんですか?
そして、この現象が“◯◯選別”と言われてる事にも理解出来ない。
勝ち負けの意識でいる限り、負けでしょ。


私はどちらの気持ちも理解しますので、ただただ寡黙になります。
どうか傷付け合う事がないよう、傷付く人がいない事を願います。


心底から皆様に幸あれと祈ります。









光の世界の革職人 摩弥

カウンセリング、神道、波動療法士、浄霊、ヒプノセラピー、占星術、マヤ暦占い、靈氣、タロット、革職人の顔を持ちます。またスピリチュアルな世界を学びたい方、プロのカウンセラーを目指したい方向けの講座の他に、エネルギーについての基礎が学べる講座の他に神道と波動療法を組み合わせたエネルギー講座も開催しております。 どうぞお気軽にお問合せください。