ヒーリングについて。(前編)

先日「当面の間ヒーリングを見合わせます」としたご案内をさせて頂きましたが
その事について今日明日の2回に分けてお話をさせて頂きます。


実は少し前から"ヒーリング"というものに対して疑問を持つようになりました。


実際にヒーラーとして数年活動してきましたがエネルギーというものは間違いなく存在します。
間違いなく存在していて、そのエネルギーを確実に変化変容させる事が出来てしまう。
これは誰でも可能です。

(量子力学的に説明すると全てのモノは素粒子として存在していて、その素粒子は意識で変化変容されると言われておりますので能力者が地震や噴火のエネルギーを抑え込む事が可能なのもこういった事からですし、スプーン曲げも意識“念力"で曲げる事が出来るのもこういった理由からです)


そしてヒーリングを受け取る側の話として

ある人の人生の中で
病を発症するという課題を持って降りてくる人
その病とどう向き合い、どう痛みと向き合い、どう克服していくのか

またある人の人生の中では
突如事故にあって重症を負う課題を持って降りてきた人
事故により怪我を負い、日常の生活に支障が出てしまう時その人は何を気付き、何を考え、どう乗り越えていくのか

またある人は先天性の障害を課題として生まれてくる。この課題でこの人生、何に気が付き、何を訂正し、何を解決しなければいけないのか

また精神的に不安定になるという課題を持って降りてきた人は自分に補填するものはなんなのか、自分が求めてしまうものはなんなのか、何故他人と比較してしまうのか

などなど…


魂は肉体があっても無くても【課題】というものには向き合う必要がある。
その【課題】に向き合い、乗り越える意味というのは魂の成長に繋がる。
寿命を終えて霊的世界に戻った魂も同じ。
(あちらの世界でも修行してます)


その魂の成長という事を考えた時に
ヒーラーがヒーリングによってクライアントの【課題】という運命を簡単に変えてしまっていいのだろうか。
そんな事を考えるようになりました。


ヒーラーによるヒーリングによって
病から解放されるし、怪我の痛みも緩和されるし、メンタルも整う。
でもそれらが一時的な効果に過ぎないのは大勢の人が経験してると思います。
それは何故なのか考えた事はありませんか?
その理由は根本的な解決に至ってないからです。


根本的な解決というのはクライアント本人がその課題に向き合ってないという事。


病に罹患したのは何故なのか?
怪我をしたのは何故なのか?
精神的な不安定は何故なのか?
根本を見る事をせず、他者の力を借りて問題(課題)を回避しようとしててもそれは本人の努力、気付きにはならない。

要は魂の成長に至らない。
ただヒーラーに依存してるだけ。
そしてヒーラーが依存させてるだけ。


私も今まで沢山の人をヒーリングしてきました。
その中には習慣のように困ったら直ぐにヒーリングに頼る人も少なくありませんでした。


そんな施術をしながらずっと違和感を感じていた。



ヒーリングをする度に『この人のタメになってない』とそんな気がしていた。



霊的世界で視た時、
ヒーリングというものは本当にその方のタメになってるのだろうか
その方は成長できてるのだろうか



違いますね。


クライアントに寄り添い、助け、笑顔にさせるタメと言いつつも
結果を見ればヒーラーの自己満足でやってしまってる事になる。


そこに行き着きました。


明日はもう一つ違う観点からのお話をさせて頂きます。

光の世界の革職人 摩弥

カウンセリング、神道、波動療法士、浄霊、ヒプノセラピー、占星術、マヤ暦占い、靈氣、タロット、革職人の顔を持ちます。またスピリチュアルな世界を学びたい方、プロのカウンセラーを目指したい方向けの講座の他に、エネルギーについての基礎が学べる講座の他に神道と波動療法を組み合わせたエネルギー講座も開催しております。 どうぞお気軽にお問合せください。