最近思う事。
もしかしたら”寿命”って変えられるんじゃないか?
変わっていくんじゃないかな?って・・・
ただ誤解しないでくださいね。
人はみな、生まれてくる前に『青写真』というものを決めてくる。
これはその人生における課題、テーマ、経験とざっくりとした寿命を決めてはくる。
ここは間違いない。
だけどね
考えてみたら、人生の中で
”見返りを求めず人の為に尽くす”人っていますよね?
仏教用語で言う『徳積み』というものを沢山成された方というのは
上で決めてきた寿命に”おまけ”がつく事があるはず。
もしくは、自分で決めてきた困難な青写真をクリアできた時にポイント加算のように
足される。
これね
考え方を変えてみてください。
この世でどう生きるのか?、何を選ぶのか?、努力と気づきはあったのか?、
それに伴って得たものがあったのか?
これら全ては自分で設定してきたけど
現実的に生きていくうちに色んな環境や困難に向き合った時に乗り越えられるかどうかというのは”その時”を経験しないとわからないはず。
魂の成長の為に設定してきた。
けど、その経験を成長に繋げられるかどうかを試すために地球に降りてきたんでしょうから
全ての課題をクリア出来る事が当然だとは限らないはず。
本当に苦しく、悲しい出来事に直面した時、生きるという事を諦めてしまう魂がいる。
この魂は地球に降りてくる時は『途中でドロップアウトします』って宣言してないんじゃないですか?
勿論、中には事件事故に巻き込まれて命を落とす魂として設定してくるものもいます。
それはその周辺の魂の為など理由はそれぞれ。自分が被害者になる事で相手の魂に加害者という経験をさせるわけです。
ですが、そればかりではないと思う。
希望を持って、降りてきた。でも起き上がれなくて力尽きてしまう魂たちがいる事は忘れてはいけない。
そして、這いつくばって、泥まみれになって、泣きながら、辛い想いを抱えながらでも踏ん張った魂もいる。
”現実”という時間を過ごした結果、基本的な寿命にプラスされたり、マイナスされたりという事はあるのかもしれない。
ただ寿命が延びる事が全ての魂の喜びにはならないので上に還るのか、ここで余暇を楽しむのかは守護霊の導きによるんだと思います。
私はね、自分のおおまかな寿命は60代後半~70代前半だとずっと感じているんです。
きっと上で決めてきた潜在的な記憶が顕在領域に移ってきたのかな。
今後、どう生きていくかでこの基本的な寿命に+・-が働くのかもしれませんが
単純に考えたら残り15年~20年ってあっという間だと思いますがプラスは要らないかな。
今、”ある夢”があって実現に向けて残りの時間をそこに費やすつもりで準備を始めております。
この為に私はこの世界に入ったのかもしれないなって感じております。
最期の最期まで与えられたものをお返しさせて頂く。
それが私の今世の最期の恩返しとなります。
皆様にとって今日という時間が素敵な一日となりますように。
0コメント