マヤ暦占いでみても、古代マヤの人達は”時間”というもの”刻む”ものではなく、”意識とエネルギー”だと考えていたように宇宙には”時間”というものは存在せず、それは人間が創り出したものに過ぎない。
一年を365日とし、一日を24時間としましたが地球は365日でぴったりと太陽の周りを回りませんのでその誤差を調整する為に閏年がある。
ですから、この人間が創り出した”時間”というのは神の”時間”とは異なる。
神の時間 = 宇宙の時間
私達人間は遠回りする事に否定的
なるべくなら最短距離で進みたい
余計な事を省き、極力近道で、無駄な時間は過ごしたくないと思ってしまう。
だけど最短距離を行こうとするあまり、目の前にある事を手に入れずに見過ごしてる事ってありませんか?
目標とする所ばかりに意識がいっていて、手中にある”経験”すべき事を拒否してませんか?
理想とする領域に行く事に捉われすぎて、今起こっている問題に向き合わず理想論ばかりを並べて向き合おうとしてないご自分がいませんか?
全ては必然でしたよね?
今、生じてる問題を避けてもまたいつかはそこに戻り経験する事が求められるのであれば面倒に感じていても”その時”に経験しておくことが案外近道だったりする場合もある。
目標とする所ばかりに意識を持って行かず、最短距離をいこうとせず、目の前の事を一つずつ経験していく事。
それが神から求められている事なんだと思う。
古代のマヤの人達が言ってたように『時間というものは意識とエネルギー』だとしたら、『その時』をどう意識して、どういうエネルギーが流れていて、そのエネルギーをどう使っていくのかが大切になってくる。
(広い意味での)”時間”に縛られないで、制限を作らないで過ごしていって頂きたいなと思います。
0コメント