拗らせてるのは自分。

一昨日の記事で『弱さを認める勇気』と題して、自分の感情をノートに書き綴る事をお勧めしました。

色々な問題に直面してる時って起こってもいない出来事まで頭の中で勝手に創り上げてしまって
自分を悲劇のヒーロー、ヒロインに仕立てあげてる事がある。

でも実はノートに書き出してみると「あれ?」って思ったりするんですよ。
勿論、自分の感情を知っておく事は大切な事です。
それだけで癒されますからね。


ノートに書き出した言葉を冷静になって読み返すと

「なんかつまらない事に引っ掛かっていた」
「なんでこんなに自分を悪者にしてるんだろう」
またはその逆で
「自分の事を棚に上げて相手を悪者にしてる」とかね。


こういう気付きがあると、今まで自分で勝手に物事を拗らせていた事に気がつく。

自分の思考が勝手に物事を拗らせているという事はそういう現実を望んでいるという事になるので当然そういった結果が創造されます。


私ね、
根本的に原因追及しなくていい時もあるんじゃないかって思う時があります。

これは無責任に言い放ってるワケではなく、時には“答えを出さなくていい時がある”

原因追及したい時っていうのはどちらかが正解でどちらかが間違ってるという判断をつけるためなんだとしたらそんな事は要らないのかも。


相手をコントロールなんて出来っこないし、しちゃいけないし、自分に偽りがあってもいけないんですから理解し合えない部分があった場合「仕方ない」で終わらせた方が互いのタメ。難しいかもしれないけどそう知ってるだけでも違うかも。

経験というものは誰にとってもどんな出来事でも何一つ無駄にはなってない。
それぞれが違う時間を経て、今の私達が築き上げられてる。


自分が経験してない事はなかなか理解しづらい事もあるけど
それを相手が自分に見せてくれてるんだと思えれば、ふと冷静になれたりする。


きっとね、ここ(地球)にいるうちは何度も繰り返し経験するかもしれないけど
都度、間違いなく前回よりは成長した自分がいるはずなんだ。

ずっと頑張り続けなくていいんです。
人生長いんですから疲れたら休んでください。

“拗れそう”っていうアンテナをキャッチしたら相手の言葉をスーッと受け流す事をしてみてください。
ただシンプルに「あー、あなたはそういう考えなのね」、「でも私は違うの」って知るだけでいい。
原因追及要らない時もあるって頭の隅に入れておいてください。

“小さなボタンのかけ違い”が取り返しのつかない事にならない?と心配されるかもしれませんが
それと『好き』という感情は別物じゃないですか?


どんなに傷ついても離れられない
どんなに裏切られても一緒にいる
嫌いになれない
必要な存在

という想いがあるならスルーした方がいい時もある。

でもね、苦しいなら愛憎に変わる前に決断すべき。
愛情が捻れたら、全ての思い出が愛憎に変わってしまう。
それ程残念なものはない。

今年後半の“攻め”のエネルギーを“攻撃”にしない為にも素直にね。

皆様に幸あれ。



光の世界の革職人 摩弥

カウンセリング、神道、波動療法士、浄霊、ヒプノセラピー、占星術、マヤ暦占い、靈氣、タロット、革職人の顔を持ちます。またスピリチュアルな世界を学びたい方、プロのカウンセラーを目指したい方向けの講座の他に、エネルギーについての基礎が学べる講座の他に神道と波動療法を組み合わせたエネルギー講座も開催しております。 どうぞお気軽にお問合せください。