修験道では
『山には白装束で入るが、悟り後は黒装束になる』と言われているそうです。
これは山での長い修業の期間中に装束が破ける、汚れるから黒くなるという事でもありますがそれは悟り後の状態からきてるそうです。
白装束で山に入る、黒装束に変わったという事は”悟りを得た”から山を下りるという事。
こういった意味を持つそうなので正式な修験道では山を下りる時には黒装束に着替えて下りてきたそうです。
以前、山伏の後継が忍者だとお話いたしましたが、忍者が黒装束なのもここからだそうです。
”人々を救えるのは黒い装束の者”
黒 = 悟り後
なるほどー、面白いですね。
で、素朴な疑問として何故修業をするのか
勿論、多様な能力を開花させるのが目的ではありますがその根底に『イメージ力を養う事』。
”創造”です。
念仏はアファメーション。
何百回何千回と念仏を唱えてると意識はトランス状態になる。
トランス状態になって念仏を唱える事で”創造”(イメージ)できるようになる。
私達が高次元と繋がる時と同じですがやはり宗派関係なく、高次元と繋がる為には”イメージ力”。そのイメージ力を養うための修業が修験道。
感覚を研ぎ澄まし、イメージ力をつけ、呪術を身に付ける事で人への救済ができるようになる。
今、説法頂いてる山伏のご住職の元では修験道の体験が出来るので私の身体が元気なうちに一度、高野山を訪れたい。
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