承認欲求が強く出てしまう方は自分を認めてもらいたい、自分を見てもらいたい、構ってほしいという欲求の表れですが
要は自分で自分を認められないから他者に求めるが故の行動となる場合が多いように感じます。
大人になってからパートナーや近しい存在に構ってもらう為に
同情を引こうとあの手この手で必死になってる人を見ると
可哀想な人という観点で見てしまいます。
自分で自分の価値を見出せず、情を引くことで繋ぎ止めておけると勘違いしています。
私はこういった方を近くで支えてるパートナーに対して救済してあげたいという考えがあります。
本人の訴えにより幾度となく振り回される人
責められ、脅され、泣かれ、時には鬱という病を引き合いに出され構う事を要求される。
この全てに応じてると疲れますよね。
私の考えとしてこういう承認欲求には応えない方が両者の為になると考えてます。
助けない強さが必要です。
話を聞かない、掘り下げない事が大事
取り合わない事です。
全てを拒否した方が良いとは言いませんが
傾聴しようとしない方がいいパターンもあると考えてます。
勿論寄り添う事が必要な時もあります。
そして寄り添う事、寄り添わない事の両方を知った上で何もしないという事が必要な時もある。
勿論両方を知ってるから出来る事だとも思います。
最初から突き放してしまうと状況は悪化していくかもしれませんので
やはり寄り添うという事は必要ですが全ての要求に応じる必要はないという事です。
ある程度、突き放す事が必要な時があるという意味です。
相手に求められるがままに対応していたら自分がやられてしまう。
そして本人の為にならない。
あなたの人生は相手の為のものではない。
距離を置く事で自分のやりたい事がやれる。
自分のための人生だと実感ができるようになる。
自分を優先させることで心から相手のために応じられるようになる。
他人軸で他人の為に生きてる時って共依存になって自己犠牲になってしまいがちです。
共倒れですね。
支える方は“何もしない“強さを知っていただいて見守ってあげてください。
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