これは、とある神話研究家の方の本に書いてあった文言です。
神話はどこまでが事実なのか?という一般的な疑問に対して
『事実かどうかなんてどうでもいい!!』と一蹴されていました。(笑)
天地開闢、国生み神生みの話
伊弉諾が黄泉の国まで追いかけて行った話
因幡の白兎
天岩戸伝説
ギリシャ神話では王ゼウスが自分の子供を次々と飲み込んでしまう話
キリスト教では処女であるマリア様がイエス・キリストを受胎する話
etc・・・
『事実かどうかなんてどうでもいい!』って極論すぎて思わず吹き出してしまいましたがこの時私は『神話だけに限らないな』って思った。
物事の答え、解釈、感じ方は人によって違う。
”真実”と言うのは個人の主観による考え方や結論に至るもの。
”事実”と言うのは客観的に捉えた事象。または現実。
そして
”真実”には正解ってないのかもしれない。
感じ方、解釈は人それぞれならそこに正解ってなくていい。
この場合”真実”だと感じたものを他者が否定しない方がいい。
ある問題が生じた時、自分が感じた事を分析し、感想を持ち、解釈を訴えても相手がもし『真実より事実を重視』してる場合は理解して貰う事が難しくなるけど
『自分の中の”真実”にこそ価値がある』んですから否定された事にショックを受けなくて大丈夫ですよ。
でもね
どんな場合でもバランスというものを忘れてはいけない。
自分の中の真実だけに従っていては気がつかないものがある。
勿論、理屈(事実)で責めることはすべきではありませんが、事実をしっかりと認識した上で真実を大事にする。
こういう事って他者から教えられる事が多いので、その時に受け止められなくても後になってその方に感謝できる自分でありたいですね。
私もそうでありたい。
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